Loading the player...


INFO:
去年大好きないとこが天国へ旅立った。享年34歳。 最後に会ったのは無くなる2日前。いつも通りの様子で家に出迎えてくれて、帰る時には「またきてね😊」と言ってくれてた。 母子家庭で一人っ子の私を赤ちゃんの頃からたくさん愛してくれて、家が近いのに週末はお泊まりしに行って一緒にお風呂に入ったあと夜更かししながらゲームをするのがお決まりのルーティーン。いとこだけどお姉ちゃんのような存在だった。こんなにも優しい人は今までもこれからもきっといない。 私が亡くなったことを知ったのは、すでに亡くなってから1ヶ月が経ったとき。葬儀の写真だけを突きつけられて心に大きな穴が空いた。亡くなってからすぐ知らせなかったのは「きっと大きなショックを受けて学校に行けなくなる」と叔父叔母なりに気を遣ってくれたらしい。でも私は大好きな人の最期を見送りたかった。母はそんな私のことを想い、棺の中に私の靴下とハンカチを入れてくれて、遺影は一緒に旅行に行った時の写真だった。 母から亡くなったことを伝えられたとき咄嗟に「なんで⁉︎」と聞いたら母は「分からない」と答えた。でも分からないなんてことあるのか疑問に思った。それ以降、詳しいことは聞けていないけど言えない死因=自死なのかなって思う。 いとこはここ数年精神科に通っていて、おそらくパニック障害やうつ病のような精神的疾患を抱えていたんだと思う。 そのきっかけが私と2人でディズニーランドに行った時のこと。絶叫があまり得意でないのにも関わらず、ビックサンダーマウンテンに乗ってくれた。でも乗り終わった後「心臓がバクバクする」と言っていた。数分ベンチで休んだあとゆったり乗れるホーンテッドマンションに向かった。でも一時的に大勢が集まって見るプレショーのときに「やばい倒れるかも」と言われ、アトラクションが終わるまで手を繋いで欲しいとお願いされるほどの不安に襲われていた。きっとこれが精神的な疾患を引き起こすきっかけだったのかなと思う。 私があのとき絶叫に乗りたいと言わなければ、もうちょっと休もうと言えばいとこの死は防げたのかなと思う。でも遺品整理のとき、あの日一緒に行ったディズニーのチケットが出てきた。いとこにとってあの日は宝物だったと知って、涙が止まらなくなった。 特に胸が締め付けられたのは手帳。ほとんどが病院のスケジュールなのに、私の誕生日だけ書いてくれていた。どれだけ愛してくれていたのか知って、生前に感謝を伝えておけば良かったと後悔した。 亡くなったと知ってから初めて学校に行く日、空には虹がかかっていた。いとこの仏壇を拝みに行く日、その日も虹が出た。いとこは天気の中で雨が1番好きと言っていたことを思い出して、きっと偶然じゃなくいとこが「心配するな😊」と伝えてるんだと思った。 亡くなってから半年以上が過ぎた今、いとこの家に行くと必ず仏壇に手を合わせて近況を報告している。「最近面白いことあった?😄」がいとこの口癖だったから。 実は今回亡くなったいとこのお兄ちゃんも若くして病気で急死している。2人が何にもとらわれることなく自由に笑って過ごせていますように。 私の人生の一部になってくれてありがとう。